メインメニュー
復元された箱根関所 - wakamatsuさんのブログ
wakamatsu さんのブログ
一昨日箱根へ行った序に、復元されたという箱根関所へ行ってきた。
箱根関所 箱根関所完全復元への道のり によると、
江戸時代末期に行われた箱根関所の解体修理の詳細な報告書である『相州御関所御修復出来形帳(慶応元年:1865)』が、静岡県韮山町(現伊豆の国市)の江川文庫から、昭和58年(1983)に発見されました。
箱根町でこの資料の解読を行った結果、当時の箱根関所の建物や構造物などの全貌が明らかになりました。
そこで、平成19年(2007)春の完成をめざして発掘調査を行ない、その成果や資料の分析結果に基づき、建物の復元や関所周辺の環境整備を行うことになったのです。
とある。
当時のままの姿で当時の建築技術を用いて復元されたという箱根関所は、なかなか見ごたえがある。
箱根関所
栩葺(とちぶき)屋根、渋墨、光付けなどの特色ある技法がそのまま採用されている。
栩葺屋根というのは、太い杉等の木を割って薄い板を作り、この板をずらしながら竹の釘で固定して作った屋根のことをいうようである。
鋸(のこぎり)で切って作るより割って作る板の方が木の繊維をあまり痛めないので耐久性があるということだ。
また、渋墨は、柿渋と松木を焼いた煤(すす)を混ぜたもので、独特な臭いがするということだ。防虫効果がある他、建物の化粧として用いられるという。
光付けは、基礎となる礎石の上に木材をぴったり取付けるために石の凹凸に合わせて木材を削り加工する技術のことを言うようである。
滑り防止になるとともに、木材と基礎石に均等に力がかかるという特徴がある。
光付け
復元された関所は、芦ノ湖東岸の湖畔にある。
その隣に箱根関所資料館が作られている。
資料館の資料を見ると、当時関東と東海地方を繋ぐ各街道筋のすべての要所に関所が作られていたことが示されている。
監視するためには当然そうであるべきなのであろうが、箱根関所以外は、聞いたこともない関所ばかりであった。
そして、関所のないところを通り抜けしようとしても、それができないうように高い柵が張り巡らされ、高台には遠見番所が設けられ、関所破りの監視がなされていたようだ。
旅人は通行手形や手荷物の検査はもとより、女の髷(まげ)を解いてまで所持品の検査を徹底して行ったという。
勧進帳で有名な安宅の関の話もこのような時代背景の中で、関所を避けて山越えをすることができないため、止むを得ず関所を通ろうとしたということなのであろう。
昔ベルリンの壁が存在していた頃それを通過して東側へ行ったことがあるが、高い塀やバリケート、車の下や座席を上げてまで徹底して行う所持品検査、そして監視塔の緊迫感を伝える雰囲気等の記憶が、正にこの箱根の関所の風景に重なるようにして思い出されたのであった。
| コメントを書く |
|---|
|
コメントを書くにはログインが必要です。 |


前のブログ

